Blog: 顎関節症素人克服列伝 byのらうさぎ

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Brand-new Ver.
2010年6月18日金曜日

6/18/2010
 
 ぴかぴか(新しい)リラックスしなよ。緊張しっぱなしでもしょうがないよ。知らないうちに力んでるんじゃない?

ストレスで緊張しっ放し(かもしれない)自分へ、リラックスを促す優しい言葉。
確かにそうだ。リラックスしよう。本当に息を抜く暇のない世の中になったものだな。緊張を解かなきゃ、心も体も疲弊してしまうだろう。
早いとこ、無駄な力を抜こう、抜こう、抜こう…(フェイドアウトのつもり)

ところが、見方を変えると、こんな良い時代に、なぜ人々は思うようにリラックスさえできないのでしょうか。
この国に限れば、公園の木陰から、外敵が襲ってくるわけでもない。命を冒して、猛獣狩りに挑む必要もない。徴兵されて、戦場へ向かわされることもない。
お金さえあれば、水も、食べ物も一瞬で手に入る。パソコンやテレビをつけると、退屈しのぎになるコンテンツが溢れている。
おもしろくなければ、見るのを止めればいい。代わりにレンタル屋にいって、海外ドラマの新シーズンをまとめて借りてくるのもいいでしょう。
良い時代だな、違いない…。

現在ほど、楽~~にしてられる時代はない。そんな気もしてくる。それでも、現実に、人の身体には緊張が張り詰めているようです。
昔以上に、どうやったらリラックスできるかという課題がますます顕在化してきているようにも感じられます。

自分の考えでは、本来人間の心身はそれ相当の緊張があったとしても、何の問題もなく対応できるような設計になっていると思うのです。
広い視点で見ると、生命というのは、それだけで、食物連鎖という競争社会を勝ち抜いていく必要があります。だから、緊張、緊迫する瞬間があるのは、ある種当然のことで、そう安々と緊張に耐えられないような状況に体が追い込まれてしまうのが、不思議でならないのです。

ただ、現代社会にあって、過去にはなかった、大きな時代の特徴を考えると、次のようなことが言えるでしょう。
現在は、かつてない程、身体にアンバランスな緊張が起きる機会が多い。
キリキリキリどんっ(衝撃)と緊張を強いられる部位と、ふにゃぁ~ん猫とリラックスしたままでいい部位(緊張しなさすぎの部位)の「落差」が非常に激しくなってきていると思うのです。
これは運動する機会の減少とも表裏一体の関係にあるでしょう。歩く、走る、階段の上り下り、ゆったり泳ぐ。これらはそんなに激しい運動をしている自覚はなくても、身体各部の多様な筋、関節が相互に関連し合いながら、複雑かつ巧妙に機能しています。日頃、平均的に体を動かしているだけでも、それなりの全身運動はできるはず。にもかかわらず、その必要最低限の全身運動さえ実践する機会がなくなっている。
よって、一人の人間の体の中で、全く使わない部位と、常に緊張を強いられる部位で、明暗がくっきりとわかれてくるのです。

現代の人間は、過緊張と無緊張の「落差」により、体の歪みが引き起こされやすくなっているのではないでしょうか。本来、緊張した筋肉は、単純に体を楽にしているとすぐに(orだんだん)元の位置に戻っていくでしょう。しかし、力を抜いたところで、全く戻らないほど硬直しているのがいわゆる異常緊張の状態です。ですから、そのままでは、いくら力を抜いたつもりでも、酷くはならないけど、よくもならないという結果になります。せいぜい現状が維持されるだけなのです。

この状況を打開するのに、有効な方法の1つは、緊張している部位と「正反対の働きをする筋」に力を入れるということです。文字通り、力を入れることになるので、体の硬直に困っている人々であれば余計に抵抗感があると思います。異常緊張を自覚し、改善を望んでいる方々は、おそらく「なるべく体に力が入らないようにしよう」とする意識が強いのではないでしょうか。
もちろん、ある意味においてはその考えは正しいのですが、その「リラックスしなくては」という気持ちが強すぎるがゆえに、本来もう少し力を入れるべき部位まで、ますます弛緩させてしまい、それによって、かえって筋の緊張度の「落差」が広がってしまうのです。こうして、力を抜いても体の違和感はとれない(緊張度の「落差」が大きいまま)という悪循環になってしまうのでしょう。

これは、肩、背中など、体幹部分だけの話ではありません。
顔でも同じことです。もっとも、顎が正常に動かなくなってくるのは、無意識下で、顔、頭部の決まった部位の筋ばかりを酷使している可能性が高い。そして、酷使された筋は硬直気味になり、相も変わらず同じような筋の使い方、酷使を続けるため、ついには、ガチガチに固まったり、最悪、頭全体に圧迫感、歪みが発生する事態になってしまいます。ここまで問題が深刻化する前に、もっと顔全体を使うべきだったのです。顔全体を使う=もっと表情を豊かにすべきだったのです。顔全体を使うことで、顔面に過緊張と無緊張の「落差」が生じることを防ぐのです。

なんて当たり前のことを書いているんだと自分でも重々感じるのですが、この当たり前なことさえ、蔑ろになるケースが、現代ではチラホラでてきているようです。
医学としても、あまりに当たり前のことなので、まさかこんな初歩的なことで、重大な問題が生じるとは、夢にも思わないのでしょう。「原因がなかなか掴めないということは、余程、細部に難解な問題が生じているに違いない」と、一途に電子顕微鏡を覗くのです。ますます狭く細かく調べ上げ、それでも結局はわからない。
真実は、1,2段、階段を登って少し高い位置から眺めるだけで見えることがあるのです。
それは医学じゃないと言われれば、元も子もないですが。




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