例えば…
→これをやって、→これをやって、合間に→これをやる…。
それをひたすらに繰り返す、繰り返す…。
とにかく執拗に繰り返すことで、不動染みた「セメント」も周辺からジワリジワリと摩耗し始める。
素晴らしきことは、「難所」が明らかになり始めること。漠然とし過ぎていた実態が、相応の困難として把握できるようになる。
これが原因で悪い、これのせいでまだ普通ではない…と理由が分かる、身体が分かる、自分が分かる。
すなわち、どっちが前で、どっちが後ろか、自信を持って把握できている…これ程心強いことはありません。
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