人が息をするのは、ガス交換するのは、当たり前のことです。が、今となっては、人が呼吸できることは、私は当然のこととは捉えていません。
人間らしい適切な姿勢で、自然な呼吸が行われることは、奇跡に近い所業…とさえ思えます。
身体が脈を打つ度に、生きる喜びが身体を流れます、当たり前であることの幸福が身体を巡っていきます。
ポーッとしてると、そんな感覚さえ満ち溢れてくるのは、「当たり前のこと」が長い期間、遮断されてしまっていたからです。遮断されていたのは違いないですが、半ば自ら遮断していたとも言えそうです。
全てワケあって、うまくいかなかった、正常でいられなかった。
そのワケを全て潰せば、「当たり前」はまた時を刻み始めるのです。
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