だからといって、その答えが限りなく正解に近いのか、正答から程遠いのか、明確にするのは難しいことかもしれません。
例えば、顎が歪んでいるということは、自身の顎が常日頃、本来の位置に戻ってくれないということを意味します。戻ることは戻るんだけど、本来の位置とは全然違うポジションに落ち着いてしまう。それを顎が歪んでいると表現するのです。つまり、自分が「そこだ」と思っている場所が、「そこが正解だ」と思っている場所が、微妙に違う、あるいは、全然違うのです。
ところが、一般の人が、常々、顎の位置や噛みあわせを、「そこそこ!」「今ちゃんとした位置だ!」などと考えているかというと、まさかそんなはずはありません。そうしたことを逐一考えなくても、顎は正しい位置に収まってくれる…。何を持ってこのようなことが可能になるのか。それは、「自分はこう」「ありふれた自分はこんな具合だ」という認識に重大な欠陥が存在しないからだといえるでしょう。
顕在意識にさえの上ってこないようなごくごくありふれた自己認識が、暴徒化した理性に抑圧されることになると、話はややこしくなります。現代人は、理性そのものを「自分の全て」と考える節があるため、理性の見解をそのまま真の自己認識だと飲み込み、その自己認識が誤っているものかどうかさえ、さっぱりわからなくなるのです。
ですから、あなたがあなたでいる限り、あなたが理性に刷り込まれた「自己」を実直に認識し続ける限り、顎は相変わらず元の間違った位置に収まり続けるのでしょう。あるいは、あなたの首は不可解な筋緊張を保ち続けるのでしょう。もしくは、あなたの頭部の血流は四六時中、鬱血したままであり続けるのでしょう。
意識の着地点を探してる。
— のらうさぎ@Syncronizingさん (@UsagiNora) 7月 16, 2012
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