顎関節症と共にある世界…不定愁訴と共にある世界…
そこでは、どんなに努力を重ねても、どんなに必死に気持ちを振り絞っても、ありきたりの努力10分の1の水準さえ満たしてない。そんなことが起こりうる。
しかし、当然周りは、「それが精一杯なんだな」と解釈するし、あるいは、「全くやる気を持ち合わせていないんだろう」と理解する。間違ってもその事象が、「身体に問題があるから」などと、誰も思ってくれはしない。証拠がないから、医学的根拠がないからです。
医師の診察を受けて、「心配いらない」と診断されることは案外多いでしょう。ところが、その「心配いらない」はずのことが、決定的な不具合を身体に引き起こしているとしたら…。
時折、「心配いらない」という表現は、少なくとも医師にとって「関心がない」ということの暗喩でしかないのです。
あなたのその不調に、一切の悪質なウィルスは関与していないでしょうし、外科手術の教材となるうる様相を呈しているわけではない。医療ビジネスの観点からすると、あなたは金にならない人ですね…。
本当の初期の段階であれば、放っておけば、自然に任せれば、何ら悪い結果を引き起こさなかったかもしれません。
放っておけばいいはずなのに、放っておくことを許さなかったのはきっとあなた自身、それはどういう事情なのでしょう。。。?
人間には大脳があるから、発達した脳があるから、理性が働くし、例えば、目前にある水を、喉が渇いているにも関わらず、飲まないでおこうと考え、実際に飲まないという行動を起こすことができます。
すなわち、放っておけばいいことを、放っておかないでおくこともできます。その逆も可。その判断は、あなたの健康にプラスかマイナスかなどとは一切関係なく、その行動を選択することができます。
あなたの決心した行動が、あなたが継続すると決意した行動が、たまたま、あなたの身体を大きく歪ませる方向へ舵を切るものだとしたら、あなたは、そう簡単には健康に戻れない段階まで、延々とその選択を堅持し続けるのでしょう。理性がある人間には、それが可能なんです。
そうして気が付くと…あなたは「努力が何の意味も成さない世界」へ足を踏み入れてしまっているのです。
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