「話聞いてくれるだけですごい助かったよ、ありがとう。」
おっとぉ、こんなこと言われてしまった。いやいや、ろくな助言もしてないのに、どういたしまして…
とはいっても、厳密に言うと、私は相手の話を耳で聞いていたわけではないのです。
上の一文は、実は送信されてきたメール中の言葉。
相手は、実際に声を出して私に色々話していたわけではなく、メールの文中にあれこれと話を入力して、私の方に送信していたのです。
で、私の側は厳密にいうと、聞いてあげてたのではなく、(相手のメールを)読んであげていたわけです。
なんで、こんなことをいきなり書いたかというと、果たして相手はどれ位すっきりしていたのか?ということが今回の焦点だからです。
いや、もちろんスッキリはしたはずですが、実際に声に出して誰かに話を聞かせた場合と比べて、この言いたいことをカタカタ機械に打ち込んで送信するっていう行為は、心のわだかまりを晴らすのに十分な役割を果たせているのか?ということです。
一昔前であれば、こういう類の話、気心の知れた人に聞いてもらいたいなって話題は、必ず面と向かってか、電話の通話中に、当事者の肉声として伝えられていました。でも、現在普及した携帯のメールを使えば、相手にどうしても聞いてほしい「とある話」は、声にする必要もなく、指を動かしてメールを作成、送信することで、問題なく相手に伝えることができるのです。
まあ、どちらでも言いたいことを伝えられてすっきりするのは間違いないでしょうが、肉声で伝える場合は声を出すので、咽頭や顔の筋肉の動きを伴います。それに対して、メール送信は声は出さないので、咽頭や顔の筋肉の目立った動きはありません。
このように比較すると、せっかく溜め込んできたことを伝える機会があるんだったら、実際に声に出して、さらには本音の表情を作りながら話したほうが、より一層ストレスの解消効果は高いだろうと思います。
発言しようとこみ上げてきた言葉をストップさせるには、咽頭を締め付ける必要があります。そして、その発言が激情に駆られたものである場合、ますます咽頭を強力に閉めて、こみ上げる言葉を阻止しなくてはなりません。
こうして、「話したいことが話せない」という状況が日常化すると、それは喉元に持続的な緊張を強いることになります。すなわち、こうした慢性的な喉元の緊張を解消するキッカケは、やはり喉元を締め付ける原因を作っているトピックを声にして吐き出すことに尽きると思うのです。
おそらく多くの人々が経験を繰り返していると思います。
どうしても話したいことを堪えるとどれほど喉元(胸)がつかえてくるか
溜め込んだことを一気に話すことができたら、どれほど喉元や胸のつかえがスッキリすることか
このように、メールで話を聞いてもらうってやり方は、どうしても喉元の部位を緊張から解放するという点では弱いと思われるのです。もちろん意味がないって言ってるのではありません。声に出して話すのと比べたら劣るだろうということです。直接的に喉元を動かせていないですからね。
ご存知のように、我々日本人に関しては、コミュニケーションの携帯メールへの依存度は図抜けています。もちろん、外国人もメールはよく使いますが、携帯の「通話」もそれに劣らず利用します。意外と通話してるんです。特に立て込んだ話、込み入った話であれば、通話という手段をとる場合がほとんどです。
対照的に、私達日本人は込み入った話でも、積極的に携帯メールを多用して、コミュニケーションを図っています。この流れから、長期間溜め込んできたうっぷんを相手に伝える時でさえ、肉声ではなく、メールを使って伝達している場面が増えてくるのです。
こうした傾向が日常になり、習慣になり、文化となった時、私達のメンタルヘルスは少々リスクを抱えるのではないかと感じるのです。
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