「心の病気」なんて意識したが故、実は、かえって出口が見えなくなるかもしれません。
程度の差こそあれ、私たちは以下のように考えているはずです。
人には、心臓でもなく、脳でもなく、「心」という何か神聖な、物理では侵しがたい領域がある…と。その「心」に私たちの「思い」は宿っているのだと。
だから、長期間体調の優れない人は、(もし、調べ上げた挙句、身体に異常がなければ、)「心」の病気だとされ、心と向き合い、心を正しい方向へ調整していくケアに専心することになります。
心と向き合う?心を正しい方へ??
しかし、その心なんてどこにあるのか?
誰もがこんな事は認めたくないでしょうが、人にそもそも心なんてパーツがあるのか??
「心」の病なんて、表現がされてしまうから、余計に、うつや精神病は「甘え」だとか揶揄されてしまう気がします。
もっとも、「うつは『甘え』だ」と頑なに強調する人は、むしろ言ってる本人が、潜在的に誰かに甘えたいんでしょう。
心がどこにあるかは、わからなくても、例えば、脳みそだったら、頭蓋骨の内側にあります。
そこにあるではありませんか、私たちがいつも「あーだ、こーだ」と想像し、考え、身体に指令を送り、感覚や感情を受容している張本人と言える臓器が。
結局、その巨大で脆い臓器が、どれだけ健全に機能を果たせる環境下にあるか?
人の精神コンディションなんて所詮、その点に左右されているのではないでしょうか?
そうして、その脳の環境を整えてあげられるのは、私たちの身体の構造と、外部からの栄養、そして血液循環。
これに尽きます。
何でも「心のせい」にして、問題解決を放棄するのは、良くない。
少なくとも本人は、誰に見放されようとも、投げ出すわけにはいかないのです、健康を決して諦めていないのなら。
「心」の病…なんて言った途端に出口なし?
12/11/2014
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