例えば、体調不良・不定愁訴をとてもよく周囲に理解されている人の場合、
例えば、旦那、あるいは妻が、すべてを受け入れサポートしてくれる環境下にある人の場合、かえって、悪い状況を抜け出しにくくなっているのかな?と感じられることがありました。
「身体が辛いことをわかってもらってるんだ…」と実感するまではいいとして、そこから派生する「安心感」が、どうも体調の変化、回復への変化を阻害してしまう場合があるのではないでしょうか。
身体がおかしい状態にあるということを自覚するのは、もちろん重要ですが、そこから変化を生み出していかなければなりません。
精神的変化、物理的変化、結局はどちらも同じことなのですが、
「①自分は辛い⇒②そこから変わっていく」
この過程が実践されてこそ、身体は健康な状態へと向かっていくと思います。
「安心感」とはまさに「心が安寧の状態」にあるがゆえに、あらゆる変化の流れを断ち切ってしまうケースが出てきてしまうのでしょう。辛いのは、確かに、直視すべきですが、その一方で、何もかもがそのままでいいということでは、全くもってない。
不健康でよければ、そのままでもよいのですが、元の健康を欲するとなると、内的刺激か、外的刺激、あるいはその双方が求められてくるのです。そうして、問題が生じているファクターは、部分的にせよ、自ら破壊(破棄)していかなければなりません。
辛いと認めるのは、変わるため…
麻痺した自然治癒、生理機能が目覚め始めるのはそこからだと思います。
自分の世界は、何度壊しても構わない。
— のらうさぎ@multi-erosion (@UsagiNora) 2014, 3月 23
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