貧血トーク①~血を見て、人を見ず?~
世に言う、貧血という言葉は「血」に視点をおいた表現です。
人間にとって血が貧しいというのではなく、実は、血の構成要素が貧しいという意味です。
これまで何度か健診を受けましたが、貧血の判断要素として用いられる項目があって、その代表的なものが赤血球中のヘモグロビン量です。
ヘモグロビンが酸素を運ぶので、ヘモグロビンが少ない=血液中の酸素量が少ない=体に酸素不足が起きる→貧血としての症状が表れるという流れになります。
だから、採血でヘモグロビン量を割り出すことで、その人が貧血かどうかを判断しているのです。
では、ヘモグロビンが豊富で、貧血状態になる人はどうなるのでしょうか?無視?精神科へ回す?そもそも、そんなことはありえない?果たしてそうでしょうか。
どれだけ完全無欠な血液であっても、問題なく、遅滞なく、体を循環することで初めてその良さが発揮されるのです。
例えば、空気の澄んだ大草原の真ん中にあなたはいるとします。そこでの空気は、都会の空気とは比較にならないほど、澄んでいておいしいです。そんな空気を胸いっぱいに吸い込むと、それだけで体も心もすっきりとリフレッシュした気分になれるでしょう。
ただ、それはあなたが、その空気を問題なく「吸って、吐いて」いるからこそ、そう感じられるのです。どんな澄み切った空気に囲まれていても、あなたが呼吸を止めてしまったら、10分以内に、確実に冥界への扉が開かれることになるでしょう。
もちろん空気が周りになければ、人は死にますが、その空気がきちんと体を巡らなければ、同様に人は死ぬのです。これを貧血の判定に置き換えると、空気(=血液)ばかりをくまなく調べているように見えるのです。もちろん血液(=空気)を調べることで、非常に有用な情報が得られると思いますが、「血液の循環」が滞りなくなされているか(ちゃんと息をしてるか)という情報はそこからは得られないのではないでしょうか。
いずれにせよ、現状の貧血の診断は、血液の成分を調べているのであって、それがどれくらい順調に循環しているかという視点は、ほとんどないように思われます。
→続く
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